大塚薬報1・2号
第一回 高齢社会と介護
還暑が米寿を介護する日本
一昨年、「敬老の日」に合わせて総務省が発表した統計調査結果によると、わが国の65歳以上の高齢者人口は2744万人で、総人口に占める高齢者の割合(高齢化率)は21.5%に達し、5人に1人以上が高齢者という計算になる。これは世界一の数値である。
80歳以上の人口も初めて700万人を突破した。
現在の人口ピラミッドの構成からも明らかなように、高齢者人口は平成32年(2020)まで急速な増加を続けることになる。
その後、安定的な推移になるが、そこからは総人口が減少に転ずるため高齢化率は上昇を続け、平成27年(2015)には26.0%、62年(2050)には35.7%に達し、超高齢社会になることが見込まれている。
その現実は、生産年齢人口と老年人口の割合の変化においてより顕著である。
昭和25年(1950)には23人で1人の高齢者を支えていたのが、平成62年(2050)には、なんと1.5人で一人の高齢者を支えなければならない社会になるというデータもある。
私たちにとってこれから先しばらくは、こうした実情を背景にした未経験の社会が形づくられていくことになるだろう。
そうしたことから今日、その先の社会構造というものを想像して制度やビジネスについて国も会社も考え始めた。
また、国民一人ひとりも来るべき超高齢時代に 備え始めようという意識が急速に高まってきている。
これを後押ししたのが、平成12年(2000)四月から実施された介護保険制度の施行だろう。
その後、介護保険法も成立し、これによって介護保険サービスや介護が必要な状態になることの予防、自立した生活支援などのインフラが着々と整備されようとしている。
しかし、介護サービス充実のためには、現実的に保険料や施設利用料をはじめさまざまな局面でまだまだ課題が多い。
介護サービスを十分に受けられる者と受けられない者との格差などもその一つだ。
そうしたなかで、すでにその兆しがあり、これからますます増えてくることが予測される75歳以上の後期高齢者を、50代から60代前半の高齢者入り口前後の人たちが介護するというねじれ現象も深刻に受け止めなくてはならない現実的課題の一つだろう。
ここには、いわば目に見えにくい、形として現れにくいさまざまな問題が潜んでいる。
とくにメンタル面における問題である。
平均寿命が世界一の82歳ということはまことにめでたいかぎりだが、しかし、80歳を超える700万人の中には重医療、要介護の人たちが多いことも事実である。
となると、その人たちの子供である50歳あたりから65歳あたりの人たちのなかには、重医療や要介護の親の面倒を看なければならない人たちが多く存在することになる。
自分白身が老齢に近づくかその域に到達するというころに、要介護の高齢の親を持つことがどれほど為変なことかは容易に想像できる。
もしそんな事態に遭遇したら…。
想像できてもしないふりをしたくなる。いわゆる高齢者の仲間入りをする65歳あたりからは経済的にある程度恵まれ、家族の愛情に包まれ、健康でいられることが老後の幸せを享受できる要件になってくる。
そうしたものが背景にあってこその自立した質の高い生活なのだが、はたしてどれだけの人がこうした環境にいるのだろうか。すべてが満たされた老後が約束されている人はいないと言っても過言ではあるまい。
しかし、そうは知りつつも、それに加えて還暦を迎えるころに米寿前後の親の介護に明け暮れなければならない現実がのしかかってきたとき、私たちはどう対処したらいいのだろうか。
この現象が、いわばあべこべ現象であるがゆえにいろいろと揶揄されがちではあるが、医療の進歩や、一方で介護制度や施設、介護に対する意識が高まれば高まるほど、このことが世界一の長寿国である日本社会を深刻なジレンマに陥らせることになる可能性は大である。
ああ、「還暦が米寿を介護する日本」…
齢重ねることの哀しみの極みである。
せめて、より高度な制度・福祉・医療・介護の仕組みが実現することを期待する以外にあるまい。
そして、改めて家族の絆を考えてみるときである。